京都の桜と世界遺産
2010年3月27日・4月3日

醍醐寺(世界文化遺産)

2010年3月27日

京都の桜見物はほ〜んと久しぶりです。(30年ぶりかも!)
青春18きっぷに目覚めてからは、京都・奈良・東京までなら基本的に日帰り圏内です。
京都だと片道4時間半くらいかかりますが、普通列車でも往復1万円かかる運賃が、青春18きっぷなら一日2300円!。
ヒマと体力がある限り 日帰りでじゅうぶん楽しめます!。 2回に分けて、京都の桜を満喫してきました。
醍醐寺 醍醐寺 三宝院
まず、最初は醍醐寺に・・・。しだれ桜の満開日に合わせて3月27日に行ってきました。
電車の中(静岡県・愛知県)から見た桜(ソメイヨシノ)はまだ咲き始め・・・滋賀県などはまだ蕾もかたい状態でしたので、
「はたして咲いているのかなあ?」と少し不安を感じつつ、京都に入りました。
京都駅のひとつ手前の山科駅で降り、地下鉄東西線で醍醐に向かいました。

醍醐寺の拝観は@三宝院庭園・殿舎。 A伽藍(金堂・五重塔) B醍醐寺霊宝館の3箇所があります。
一箇所だけの入場は600円ですが、3箇所だと1500円。
う〜ん・・・ちょっといい値段だけど、桜が見たいので、3箇所セットの拝観券を買い求めました。
醍醐寺 三宝院庭園・殿舎のしだれ桜

三宝院は永久3年(1115)、醍醐寺第14世座主・勝覚僧正により創建されました。
醍醐寺の本坊的な存在であり、歴代座主が居住する坊です。
現在の三宝院は、その建造物の大半が重文に指定されていて、中でも庭園全体を見渡せる表書院は寝殿造りの様式を伝える
桃山時代を代表する建造物であり、国宝に指定されています。

国の特別史跡・特別名勝となっている三宝院庭園は、慶長3年(1598)、豊臣秀吉が「醍醐の花見」に際して
自ら基本設計をした庭であり、今も桃山時代の華やかな雰囲気を伝えています。

醍醐寺 三宝院庭園・殿舎のしだれ桜

「花の醍醐」といわれるように,醍醐寺は桜の花で有名です。
これは、太閤豊臣秀吉が贅を尽くした「醍醐の花見」をここ醍醐寺で行なったことによります。

春の彼岸に憲深林苑で咲き始める かわづ桜をかわきりに、しだれ、ソメイヨシノ、山桜、八重ザクラ、
そして、三宝院の大紅しだれと金堂わきに大山桜が咲き終わるまで約3週間、醍醐寺では様々な桜が咲き誇ります。

以前、日本画家・奥村土牛画伯の『醍醐』を見て以来、桜の咲く季節に醍醐寺に行きたいと思っていました。
その桜はしだれ桜。 見ごろは、ソメイヨシノよりも少し早め、今がまさに最高潮ではないでしょうか。
一般的な桜のお花見の時期よりも やはり少し早めに満開を迎えていました。奥村画伯の描いた桜はこれでしょうか。

西大門 (仁王門) 金堂 平安時代(国宝) 五重塔 平安時代(国宝)

西大門 (仁王門)

豊臣秀頼が金堂の再建の後、慶長10年(1605)に再建したもの。そこに安置されている仁王像(重文)は、もとは南大門に祀られていた尊像で、平安後期の長承3年(1134)に仏師勢増・仁増によって造立された尊像です。

金堂 平安時代(国宝)

醍醐天皇の御願により延長4年(926)に創建された建物。当時は釈迦堂といわれていましたが、永仁、文明年間に二度焼失しました。現在の金堂は豊臣秀吉の命によって紀州(和歌山県)湯浅から移築が計画され、秀頼の時代、慶長5年(1600)に完成しました。この金堂が、醍醐寺の中心のお堂であり、安置されている薬師如来坐像が醍醐寺の本尊です。

五重塔 平安時代(国宝)

醍醐天皇のご冥福を祈るために朱雀天皇が起工、村上天皇の天暦5年(951)に完成。京都府下最古の建造物で内部の壁画は、
日本密教絵画の源流をなすものといわれている

この春の霊宝館春期特別公開は、

会期:平成22年3月23日(火)〜
             5月9日(日)

「祈りの伝承 密教尊像展」と題し、
展示されていました。

国宝「薬師如来坐像 平安時代」、

重文「千手観音立像 平安時代」などの仏像をはじめ、
国宝「五大尊像 鎌倉時代」、
重文「大元帥明王像 三十六臂 鎌倉時代」、重文「仁王経曼荼羅 鎌倉時代」などの密教仏画など。

霊宝館
霊宝館のしだれ桜
霊宝館のしだれ桜も今が満開。霊宝館の建物とロ−プに囲まれているので、桜のみを撮影することができました。

その翌週の土曜日も 朝一番の東海道線に乗って京都の桜を見にいきました。
東海道線沿線の桜はどこも満開でしたが、滋賀県だけはまだ咲き始めでした。
先週と同様 山科駅で下車し、地下鉄東西線で二条城前に向かいました。

二条城(世界遺産)

2010年4月3日

10:45 二の丸御殿 天守閣跡の展望台から見た全景
二条城

地下鉄の駅から出ると、すぐそこが二条城。東大手門をくぐると桜マップがあったので、一枚もらいました。桜の名所なので楽しみです。

まずは拝観の主役である
二の丸御殿に入りました。
徳川家康が京都の居館として造営されました。
1788年の大火で本丸殿舎などを焼失したがこの二の丸御殿だけは奇跡的に残ったそうです。
1867年、徳川慶喜はここで大政奉還を宣言したことでも有名です。

桃山時代の武家風書院造りで、鴬張りの廊下に大広間・書院と数多くの畳の間が連なり、中でも幕府御用絵師であった
狩野探幽(かのうたんゆう)」をリーダーとする「狩野派一門」の屏風絵は必見でした。(一部は複製もありました)
本丸御殿の庭園を見ながら、最後に内堀と外堀の間に植えられている桜を見ることにしました。

しかし、ここの桜は観賞用が多く、八重桜やエドヒガンやしだれ桜、山桜などはまだ蕾でした。

たくさんの種類の桜が植えられているので、これらが咲くとにぎやかなのでしょうね。

夜にはライトアップされるソメイヨシノだけは満開でした。


二条城を出て、京都御所の巨大な敷地の中を歩き、都バスにチョイ乗りして銀閣寺道で降りました。
バスも混んでいたけど、ますます人だらけの状態です。

13:00 哲学の道

哲学の道を歩いて銀閣寺に向かいます。疎水沿いには桜のトンネルが・・・感激です!
歩いても歩いても桜・サクラ・さくら・・・

銀閣寺(世界遺産)

13:15 銀閣寺 銀沙灘 向月台
桜満開の哲学の道は、観光客も超満員でしたが、やはりすばらしい!。

15分ほど歩いて銀閣寺に着きました。
中門をくぐるとすぐに銀閣寺が見えます。
向月台、銀沙灘を眺めながら反対側に向かうと、ここがベストポイント。

室町幕府8代将軍・足利義政が、祖父義満の建てた金閣寺(北山殿)にならって建てた別荘(東山殿)がはじまりです。

白砂のオブジェと苔むした庭園と銀閣寺のたたずまい・・・
東山文化の「わび」「さび」の余情と簡素を重んじる美意識はとっても気持ちが和みます。





銀閣寺からは再び哲学の道を歩き、
南禅寺へと向かいました。
銀閣寺


南禅寺

14:00 再び哲学の道を歩く・・・ 14:50 南禅寺
南禅寺は臨済宗南禅寺派の大本山。
まずは巨大な山門が向かえてくれます。

その奥の方丈庭園から見てみましょう。

小堀遠州作といわれる枯山水の庭
「虎の子渡しの庭」など、寝殿造りの
優雅な建物のまわりに落ち着いた庭
が配されています。

内部の襖絵には狩野派の芸術を
見る事ができました。

古ぼけた赤煉瓦のアーチが美しい
「水道橋」を見た後には・・・
いよいよ山門に上がってみましょうか。
虎の子渡しの庭 如心庭
南禅寺 三門
南禅寺の三門は別名「天下竜門」とも呼ばれ、上層の楼を五鳳楼と呼び、日本三大門の一つに数えられます。
歌舞伎「楼門五三桐」で、石川五右衛門が楼上から『絶景かな、絶景かな』と見得を切るシ−ンで有名です。

怖ろしく急な階段を登っていきました。山門の楼からの眺めは、松などの常緑の大木が法堂を覆い、
今が満開の桜もちょっと控えめです。  反対側には京都の街並みが見えました。
「で・・どこが絶景?」と思ってしまいましたが、歌舞伎座での3月公演の「楼門五三桐」を見たばかりで、
舞台でのイメ−ジを膨らませすぎていたのでしょう。

南禅寺を出て、湯豆腐屋さんが立ち並ぶ参道を抜けて、最後の花見はインクラインです。
16:10 インクラインの桜
京都と琵琶湖を結ぶ水路「琵琶湖疎水」は、水道用水の確保と、船での交通の充実を図るために明治時代に建設されました。
今では桜の名所となった琵琶湖疏水とインクラインは、明治時代に京都を水上輸送都市にしようとした技術者達の夢の名残を、
ひっそりと伝えていたのですね。

「インクラインのこのレ−ルは何に使われていたのだろう?」と疑問に思いながら歩いていたら、やっと判りました。
船ごとインクライン(傾斜鉄道)の台車に乗せて坂を昇降りさせていた 輸送船(木製)
途中には今は使われなくなった線路と記念に残された台車と船が、展示されていました。
船が上がれない急な坂を貨車を使って引っ張り上げるための線路の跡でした。 
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