|
|
|
|
|
|
|
|
絢爛豪華なイメ−ジの日光ですが、そもそもは奈良時代、二荒山(男体山)に登った勝道上人によって開かれた
山岳信仰の霊地でした。家康の信任が厚かった密教の僧侶慈眼大師(輪王寺)が家康の遺書を託され、
江戸から真北に位置する日光に江戸城の守護神として
「東照大権現」を祀ったのですが、当初は簡素で小さな神社でした。
|
それが現在の絢爛豪華な建物になった
のは、三代将軍徳川家光による「寛永の
大造営」(1636年)からのようです。
宇都宮駅近くのビジネスホテルで
簡単な無料朝食をいただいてから、
JR日光線に乗ること46分。
7時45分にJR日光駅に着きました。
ここからは、歩いて
世界遺産「日光の二社一寺」に
向かうことにしました。
少し歩くと東武日光駅があり、ここから
日光連山が、青空のもと
くっきりと見えます。
|
|
JR 日光線 (宇都宮⇔日光) |
JR 日光駅 |
江戸幕府の権威を背景に一大聖地として繁栄した日光ですが、明治になって神仏分離令が出され、
一山ひとつで「神仏習合」だった日光は、二社一寺に分けられました。
日光の世界遺産というのは、文化遺産「日光の社寺」。
二社一寺(日光二荒山神社)(日光東照宮)(日光輪王寺)です。 |
|
東武日光駅と日光連山 |
神橋 |
JR日光駅から東武日光駅までは徒歩3分ほど、ここから日光の世界遺産の入り口神橋までは参道商店街を歩いて15分ほどです。
朝早いので まだお店は開いていませんが、湯波の店や水ようかんの店などがあり、朝から小豆を煮る、いい香りが漂っていました。
車道側の橋(日光橋)を渡りながら、神橋をパチリ。 この神橋は有料でした。 |
@ 日光東照宮
|
|
日光東照宮 石鳥居 |
|
日光東照宮 表門 |
車道の日光橋を渡った向こう側には世界遺産の大きな石碑があり、ここから石段を登っていよいよ東照宮に向かいます。
拝観券は各寺院ごと買うこともできますが、どこまで見たいかで拝観料が違ってきます。
ざっくり見るのなら、二社一寺共通拝観券1000円でいいかなと思い、これを買い求めました。
(この券では東照宮の眠り猫と奥社が拝観できないので別に520円かかりますが) |
|
五重塔 |
神厩舎(しんきゅうしゃ) 左から2番目が「見ざる・言わざる・聞かざる」 |
まずは一番魅力的な東照宮から巡ってみることにしました。 (正式な順路は日光山輪王寺からのようですが・・)
前日は大荒れの天気だったので、朝早くから巫女さん達が境内に落ちた杉の小枝を履き集める作業に追われていました。
境内にはまだ少し雪の塊が残っていて、今日も風は強く、寒い日となりました。
石鳥居をくぐって左手を見ると、朱塗りの五重塔が立っています。
次に表門をくぐると、右手にはこれぞ東照宮!という意匠の三神庫がありました。
左手に回ってみると、古ぼけた木造家屋がありました。
東照宮=三猿・眠り猫?
知名度ナンバ−ワンの「見ざる・言わざる・聞かざる」 はこの神厩舎の彫刻です。 |
これは境内唯一の素木造り、
右側が馬を扱う役人の詰所でした。
猿の彫刻があるのは、猿が馬の健康と
安全を守ると言い伝えられている
からとのこと。
実際には8枚の絵(彫刻)で人の一生を
描いていたのでした。
そしてその中の一枚が
「見ざる・言わざる・聞かざる」・・・
だったんですね。
@ 母猿が子猿の将来に思いをはせる。
子は母を信頼して、顔をのぞき込む。
A 子供のうちは、悪いことを
「見ざる・言わざる・聞かざる」がよい。
B ひとり立ち前の猿。
まだ座っているが、飛躍を期す。
(写真無し)
C 青雲の志を抱いて天を仰ぐ。 |
|
|
D 人生の崖っぷちにおいても、
励ましてくれる仲間がいる。
E 恋に悩み、物思いにふける猿。
F 結婚した二匹の猿。
力を合わせて人生の荒波を乗り越える。
G 妊娠した猿。
やがて子が生まれ母になる。
最初の場面に戻り、
新たな人生が始まる。
大人になっても都合のいいように
「見ざる・言わざる・聞かざる」を
使っていませんか?
日光東照宮の三猿には
こんな大意があったんですね。 |
神厩舎を見た後は、飛竜の彫刻のある絢爛豪華な御水舎で手を清め、いよいよ陽明門へと進みます。 |
|
陽明門 |
内側から見た陽明門 |
近づくにつれ、おびただしい数の彫刻
に圧倒されます。
まるでおもちゃ箱の中に入ったみたい!。
彫刻は霊獣と人物が多いようですが
見上げていると目が眩みそうに煌び
やかで、一点の隙もないぐらいに
びっしりで・・・
疲れてしまいそうです。
東照宮のほとんどの伽藍が造営された
のは1636年で、この大規模な工事
はわずか1年半で完成したとのこと。
当時の江戸幕府の財政や求心力は
偉大だったんですね。
さて、いよいよ本社・本殿へと向かいます。
唐門は現在工事中で、両側がビニ−ルで
覆われていましたが、
柱には紫檀と黒檀を使っていて、
竹林の七賢など、緻密な彫刻が施され、
独特な意匠で格式高いものでした。 |
|
A 日光二荒山神社 (にっこうふたらさんじんじゃ)
|
|
男体山を御神体とし、日光連山全体を神域とする神社。
古来より日光山岳信仰の中心で、下野国一の宮として信仰を集める。 |
B 輪王寺大猷院 (りんのうじたいゆういん)
|
|
徳川家康の孫、三代将軍 徳川家光の廟所です。
祖父を敬愛していた家光は「寛永の大造営」で現在の日光を作った立役者。
「死んだ後も東照大権現にお仕えする」と遺言し、ここに埋葬されました。
東照宮よりも17年ほど時代が新しい分、シックで洗練されているような印象を受けました。 |
C 日光山輪王寺 (にっこうさんりんのうじ)
|
|
勝道上人が開いた日光山の御本尊を祀り、日光三社権現信仰の中心として栄えました。
この三仏堂(金堂)には、内陣から見上げるように配置された 千手観音・阿弥陀如来・馬頭観音の
三体が祀ってありました。金色でその大きさは圧巻でした。 |
お昼近くまで日光観光をして、日光線で宇都宮まで戻り、宇都宮線〜両毛線へと乗り継ぎました。
|
|
|
岩舟駅 |
三 毳 山 |
慈覚大師誕生の地を目指して |
両毛線に乗って岩舟駅で下車しました。今回の旅の最後の目的地は、三毳山のかたくりです。
以前 花の百名山の本で見ていて、こんなにすごい群生地があるんだとビックリ!
場所を調べて地図で確認したら、寄れそうな所にあるじゃない!(*^_^*)
きっと かたくりも見ごろの頃だから、グット・チャンス! とばかりに計画に盛り込みました。
岩舟駅は無人駅でここで降りた人は2〜3人。片道はタクシ-を使おうかと思ったけど、頑張って歩く事にしました。「節約・節約!」
|
駅周辺はかたくりモ−ドになっているのか
と思ったけど、三毳山やかたくりの里
への道案内はまったく無し。
駅にパンフレットが置いてあるかなと
見渡しても無し・・・。
「アレっ」と拍子抜けしてしまいましたが、
登山マップをコピ−して持っていたので、
それを見ながら歩くことにしました。
目指す三毳山は田園風景の向こうに
見えているのであの山に近づいてい
けばいいわけで・・・
所々にある道案内にも三毳山かたくり
の里の表示はありません。 |
|
農道はくねくねと曲がっていて、散歩している人に道を尋ねながら30分が経ちました。
国道に出ると、さっきから標識案内にあった慈覚大師誕生の地がありました。「な〜んだ、ここを目指して来ればよかったんだ。」
その先の道路標示が手前側が岩舟町。向こう側は佐野市になっていました。
そして佐野市に入ったとたん、かたくりの里ののぼりが出てきました。先ほどからの疑問は管轄が違うからだと納得。
さてさて やっと かたくりの里に着きましたよ。 |
|
周辺の駐車場は混んでいましたが、一大観光地というほどの盛り上がりはありません。
管理センタ−があり、屋台は数軒、地場産品を売る店や山野草のお店も一軒づつ。
そこから5分も歩くとそこにはびっくりするような風景が・・・\(^o^)/ |
|
「すごい・すごい・すごぉ〜い!!!」 広〜い山の斜面いっぱい 見渡すかぎり かたくり だらけ! |
|
アズマイチゲ |
|
かたくり |
数は少ないけれど、アズマイチゲやイチリンソウ、ニリンソウといった白い可愛い花も混生していました。 |
|
アズマイチゲ・ニリンソウ・イチリンソウ・かたくりの混生地 |
|
かたくりの花も ちょうど咲き揃ったばかりで、一番いい時期に見れました。 |
|
|
三毳山山頂 |
かたくりの群生地が終わり、そのまま山頂まで足を延ばしました。山頂の標識は(青竜ヶ岳)となっていますが???
山頂を後に来た道を帰り岩舟駅に戻りました。約3時間のお花見ハイキングでした。
三毳山のかたくり群生地はもう一箇所あり、私は北側から入る≪かたくりの里≫を見ましたが、
反対側の三毳神社と東口広場の中間地点の東側の斜面には≪かたくりの園≫という場所もあるようです。 |
|
青春18きっぷを使った新潟〜福島〜栃木の旅 簡単なル−トとお得度をまとめました
↓ |