村山古道を歩く・・・ 〜海抜0メ-トルから富士山を目指して〜
パ−ト 2  村山浅間神社〜西臼塚駐車場

村山浅間神社(標高490m)から
     西臼塚駐車場(標高1280m)まで

2007年4月15日
    

今回も  風濤社: 畠堀操八氏著 : 『富士山・村山古道を歩く』を参考にしました。  
≪村山古道を歩くパ−ト2≫は市街地・郊外を抜け、いよいよ富士山のすそ野の末端を歩くようになります。
ワゴン車一台をゴ−ル地点の富士山スカイライン太郎坊線の西臼塚駐車場に回して、前回のゴ−ル地点の村山浅間神社
からのスタ−トとなります。スタ−ト地点とゴ−ル地点が違う場合、車の回送なども考えなければいけません。


境内にはしだれ桜が咲き始めています。

根元に置かれた石は【1石運動】の
石畳用のものです。看板には復元事業
への協力のお願いが書かれていました。
7:30 村山浅間神社スタ−ト  まずは石畳を歩く
石畳は2箇所、全部で300mほどしか
出来ていませんが、今後も少しづつ
延びてゆくのでしょう。

ここには村山古道で最後の民家で
ある鯛津さんのお宅があり、
村山古道復活の立役者のお
一人だそうです。

本には近々民宿を始めたいとあり
ましたが、民宿経営も難しいのか、
まだやっていないとのことでした。
8:00 鯛津さんの無人販売で大量の野菜を買い込み、敷地内で預かってもらった。 満開の桜越しに富士山が見える
8:05 馬頭観音 8:20 いよいよ登山道らしくなる 8:40 ミツマタの樹がたくさんある
未舗装の広い林道は左に曲がっていて正面は立ち入り禁止の鎖がかかっていました。
その辻にあったのが
馬頭観音で、山から炭や材木を運び出した馬の供養の為に立てられたようです。
最近整備された【村山道】の木の看板のおかげで、道に迷わず歩けるようになりました。なんとなく道なりに
左に進みたい場所ですが、ここでは立ち入り禁止の鎖を跨いで村山古道が続いていました。

スギやヒノキの植林の中を歩いていきますが、林道が多く村山古道と交差している箇所もありました。なるほど植林の手入れも
行き届いていて花粉症さえなければ見ていて清清しく思えます。
しかし、登山道はえぐれていたり、倒木があったり、苔むした富士石の上を歩いたりと、変化に富んでいました。
9:40 札打場跡 10:35 天照教の敷地横を歩く 10:40 富士山麓線を横断する
雨水に侵食され、深くえぐれた植林の溝路を登ってゆくと、前方に古いケヤキの巨木がありました。
ここが
札打場跡で村山修験の遺跡です。発心門の鳥居なき後はこのケヤキに札打ちしたということですが、
現在挟んである木札は十数年前古道復活の関係者が、注連縄をはってぶらさげたものだということです。

薄暗い林にはミツマタの木も多く、薄黄色のかわいい花は小さなぼんぼりのように ≪ポッ≫と あたりを照らしていました。
タマアジサイも多く、花の時期は楽しみでしょう。

雑木が出てきて周りが明るくなると、
天照教の施設がありました。よく手入れされた庭園の桜はこれからのようです。
1879年(明治12)
伊勢神宮から分霊して天照教富士山本社をひらいたとのことで、清水次郎長が境内地の造成をしたそうです。
すぐ上が、舗装道路になっていて車の往来も結構ありました。道路を横断した先に村山古道が続いています。
古道のすぐ左横には
「天照教奥の院参道」があり、鎖でふさがれていました。
11:00  ヒノキの道 11:10 苔むした倒木の下をくぐる 11:12 落葉広葉樹と苔むした富士石
小休止の後、再び薄暗いヒノキ林へと入っていきます。やがて落葉広葉樹の疎林へと変わり周囲が明るくなりました。
両側にスズタケの生い茂る枯葉を敷き詰めた道を抜けると、気持ちのいい日本庭園のような景観になりました。

前方に周りの雰囲気に合わない人工物が・・・浄水施設や鉄かステンレスでできた頑丈な吊橋の向こうには2階立ての
野鳥観察小屋が建っていました。このすぐ上に
富士山麓山の村がありました。
緑陰広場でランチタイムです。

ブナやミズナラ、ヒメシャラ、シナノキ
の芽吹きももうすぐです。

今日一日の行程はずっと登りのみ。

11:30 富士山麓山の村 ランチタイムは 餃子とビ−ル ゆっくり休憩し 12:40出発
ゆっくり休憩した後、まずは山の村の宿泊施設の右側を登っていきます。ヒノキの林でやや道は荒れている感じがしました。
この施設のオリエンテ−ション用の道もたくさんあって、その都度あたりを確認しながら古道を進みます。

雑木の自然林が広がると、辺りにはクヌギやミズナラ・ブナの巨木がありました。
木に気を取られてしまい、この辺りにあった
馬頭観音を見落としてしまったようです。
13:30 中宮八幡堂 13:55 水神の祠と八大龍王 14:00 日沢を横断
やがて明るい広場に出るとここが中宮八幡堂です。お堂は昭和3年。石塔は天保4年(1833年)。
石段
は当時のままだそうです。 
中宮馬返しとも呼ばれ村山より派遣された社人が駐在していました。ここより馬で登ることは許されなかったことと、
女性の登山もここまでで禁止とされていたようです。

明治37〜38年頃までは茅葺屋根の社屋などがあったようですが村山登山道の衰微により倒壊してしまったようです。

100mほど上がったところに井戸の跡があり
水神の祠八大龍王の碑がありました。 
村山道は何度も
日沢を横断します。富士山にはたくさんの沢がありますが、ふだんは水がありません。
沢の中は泥土の流れた跡だったり、溶岩が固まってできた岩床だったり、石がゴロゴロしていたり、苔むした巨石があったりします。
いにしえの道は、古代に人々が確かに
ここに足跡を残しているのです。
そんな足跡を辿りながら太古のロマン
を想像しながら歩くことも
時にはいいですね。

そして、もはや歩くことの少なくなった
富士山のすそ野に分け入り、
また別の表情の富士山の姿を発見
できる喜びも古道歩きの醍醐味です。
14:10 さながら日本庭園のよう  14:20 富士山スカイラインに出る
この辺りもあと一月もすれば若葉に覆われ、菜種梅雨の洗礼を受けた苔類も鮮やかに精気を取り戻し、
生命力に満ち溢れた森になっていることでしょう。
秋には色鮮やかな紅葉やキノコが迎えてくれる優しく静かな森となることでしょう。

まもなく富士山スカイラインに出ました。道の向こう側にはかすかだけれど踏み跡があります。
村山道の標識はまだここまでは設置されてないようですが、このかすかな踏み跡が次回に繋がる村山古道です
。いよいよ原生林の中に分け入るのですが、村山古道は6合目で富士宮口登山道と一緒になります。
西臼塚から見た富士山 今回の村山古道で見つけためずらしい花やスミレ、苔のオブジェ
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