村山古道を歩く・・・    〜海抜0メ-トルから富士山頂を目指して〜
【富士山への信仰と登山のはじまり】
富士山には奈良時代から平安時代にかけて噴火の記録がたびたび残されています。
噴火を鎮めるために、麓には浅間神社が祀られました。
平安時代後半からは噴火の記録が減り、実際に富士山に登ったとする記録が出てくるのはこのころからとなります。
富士登山をした人物として12世紀中ごろの駿河国・末代上人(まつだいしょうにん)が挙げられます。
【村山口と村山修験道】
古来からの山岳信仰と、平安時代末に渡来した密教が融合して形成された山岳修験は、
日本各地の霊山といわれる山岳で盛んになりました。富士山も、修験者を集める山でした。
末代上人は数百回富士登山をし、富士山頂に信仰の場・大日寺を作ったといわれています。

そののち、即身仏となって富士宮市にある村山に祀られたと伝えられることから、村山が富士山での修験道の拠点となりました。
戦国時代には多くの宿坊を構え、特に京・大阪など関西からの登山者を迎えて繁栄しました。    

                                   *富士市立博物館・常設展示開設シ−トより抜粋
村山古道を歩く パ−ト1田子の浦(海抜ゼロm)から村山浅間神社(標高500m)   
2007年3月21日
平安末期、1000年前に開かれた富士山最古の登山道が100年間に廃道になったままであったとのことです。
地元の有志によって全ル−トの解明はできたが部外者では辿れないであろうとのことだったようです。
先達・畠堀氏らの努力により村山古道の全容が明らかになり、
一般募集にて『富士山クラブで村山古道を歩く』を開催したのが2年前のことでした。

                            *風濤社・畠堀操八著『富士山村山古道を歩く』 を参考にしました。
2年前に使った、2万五千の地図にル−ト図と名所・旧跡・道標などの
カラ−写真を組み込んだ見やすル−ト図のコピ−を各自が持ち、
それを見ながら歩いていきました。
まずは2年前と同様、JR吉原駅からスタートです。

線路や道路が次々と作られ100年前の景観はほとんどありません。
村山浅間神社までは、道路の横断と市街地歩きです。

吉原駅から富士山を眺めたら、
富士山に背をむけて田子の浦の海岸線を目指します。
8:00 JR吉原駅からスタ−ト
8:20 田子の浦  ・・・は、巨大テトラポットの城砦でした 8:32 富士塚
美しい海岸線をイメ−ジしたもののご覧の通りのテトラポットが並んでいます。
波打ち際の海面に片足を入れ、いよいよ海抜ゼロメ-トルからスタ-トです。 
富士塚で古道歩きの安全を祈願しました。ここに積み上げられた石はむかし富士登山をする人々が
、登山の安全を祈って海水で水垢離したのち、海岸の石をひとつづつ置いていったものだそうです。
旧東海道では所々に松の木が
ポツンとありました。

右に見えていた富士山ですが、
ここだけ左に見える場所というのが
名勝・左富士です。

遠くから見ると左に富士山ですが、
石碑までくると隣の工場の屋根に
隠れてしまいます。
8:48 再び吉原駅へ 9:15 名勝:左富士
       9:25 平家越                             9:45 鯛屋旅館(吉原商店街内)
道が三叉路に出ると、正面に『平家越』の石碑があり、富士川の戦いの古蹟です。
1180年10月、夜半、水鳥の羽音に驚いて平家軍は潰走し、頼朝は起死回生の大勝利を得たとのことです。

道は吉原商店街を歩くようになります。商店街の中ほどで鯛屋旅館を見つけました。
1682年に成立した吉原宿は本陣2軒、脇本陣3軒、旅籠60軒があったといわれます。
ここ鯛屋旅館は吉原宿成立以来320年続いてきた、たった一つの老舗旅館です。

近年では清水次郎長や山岡鉄舟の定宿としても有名で、現在の宿の主人から、当時のエピソ-ドなどを聞くことができました。
重厚な金庫の横にあるのが鉄舟の書いた看板(写真右上)です。
次郎長は喧嘩の際、店のお皿を懐に鎧代わりに忍ばせたとのことで、以後食器の損害を危惧した店主は次郎長が喧嘩に
行く際は店の食器類を隠してしまったとの逸話も聞くことができました。
10:35 冨知六所浅間神社        11:30 広見公園           12:20 富士市立博物館
商店街を抜け、路地を何度も曲がったり道路を横断したりして、次に目指したのが冨知六所浅間神社です。
近隣旧7カ町村の氏神さまなどだそうです。どらえもんシリ−ズの石仏が至るところに鎮座し、ユニ−クな神社でした。

広見公園を目指して進みます。広くでよく整備された公園で、あと2週間くらいで桜の季節を迎えることでしょう。
13:00 道の分岐にある最初の道しるべ   13:12 新東名工事現場  13:05 沿線の風景  13:22 釈迦堂
今日歩くコ−スはすべてアスファルト舗装の道です。やがて道は幹線道路から離れ、静かな路地歩きとなっていきます。
ここでやっと出現するのが昔の道しるべ(道標)です。最初に出現したのが『三ツ倉 むら山道』
写真左上の先の分岐にある道標です。富士山を模った絵柄に微かにむら山道と見えました。
途中、新東名の工事現場の上を横切りました。何年か先にはこの道もなくなり、新たな道で村山古道を辿ってゆくのでしょう。
13:32 「左む□□」 
下部分がアスファルトに埋まっている
13:52 「左むら山道」 14:05 「左村山道」
あたり一帯はイチョウ林となっていた

、当時の面影を偲ばれる素朴な道しるべを探しながら古道を巡る旅も情緒があります。
途中、イチョウ林があったり、シキミの畑があったり、その土地ならではの風景に出会うことができました。
14:25 「村山道」平成の標識!? 14:53 「左村山道」
コンクリ−ト壁に埋め込まれていた
15:00 「左むら山道」
以前はここまでバスが来ていた。
最近立てたような木の看板に村山道とありました。
自分達の地図と照らし合わせてちょっと違うのでは・・・と思ったけれど、木の標識通りに進むことにしました。
。次の辻で右に行こうか左に行こうか迷ったあげく、結局遠回りをしてしまったようです。
次の壁に埋め込まれた道標に辿り着くまでに時間を費やしてしまいました。
15時、以前バス停のあった分岐までやってきました。この分岐の左側に道をとり、最後の登りとなりました。
大イチョウ(県指定天然記念物) 15:15 村山浅間神社  千年杉(県指定天然記念物)
                  水垢離場                             護摩壇跡
やっと村山浅間神社に到着しました。境内では子供達が野球ゲ−ムに興じていてるほど今ではのどかな場所となっているようです。
観光客などはあまり訪れないのでしょう。県の天然記念物である大イチョウや大杉があったりと歴史の重さを感じます。
水垢離場も跡だったが2004年元旦、周りに雪が積もっているなかで、午前0時を期して始まる新年禊が復活したようです。
護摩壇跡ももはや跡ではなく、開山祭と閉山祭にはここで護摩焚きが行われるようになっているとのことです。
村山浅間神社で記念撮影。

古き時代の遺物が残され、伝えられ
ている事に、郷土と歴史を大切に
守ってゆくことの重みを感じました。

パ−ト2はこの石畳からスタ-トです。

パ−ト2のスタ-トは
村山浅間神社からまずは石畳を歩く。
パ−ト1の参加者達
Top 登山編  観光編    プチグルメ